日本犬2
琉球犬
琉球犬(りゅうきゅうけん、りゅうきゅういぬ)は、沖縄県原産の日本犬の犬種のひとつである。琉球犬のルーツは縄文時代初期に、九州地方から沖縄方面へ渡る人々が同伴したマタギ犬(山岳狩猟犬)だと考えられている。沖縄県では琉球犬をトゥラー(虎毛の琉球犬)あるいはアカイン(赤毛の琉球犬)と呼び、イノシシ猟や鳥猟の猟犬として使役した。トゥラーの場合その毛の色に応じて赤トゥラー(赤虎毛)、黒トゥラー(黒虎毛)、白トゥラー(白虎毛)と呼ばれる。
弥生時代に入ると、北海道と南西諸島を除く地域には、渡来人とともに北方系の犬が流入した。土着の日本犬(南方系、いわゆる縄文犬)はそれらの犬と同化し、姿を消すことになる。その一方で、北海道と沖縄県では縄文犬の血統が維持された(最近の研究で、北海道の北海道犬と琉球犬は遺伝子的に非常に近い関係にあることが証明されている)。
川上犬
川上犬(かわかみけん、かわかみいぬ)は、長野県南佐久郡川上村に伝わり、保護育成されている小型日本犬の一種である。信州川上犬とも、川上狼犬ともいう。無料出会いには主に梓山地区で飼われていたため、梓山犬と呼ばれたこともある。秩父犬と同じく(梓山地区から三国峠を越えると秩父市)、ニホンオオカミの血が流れているという伝承がある。柴犬(信州柴)の一種とされる。長野県の天然記念物に指定。
仙台犬
仙台犬(せんだいけん、せんだいいぬ)は、仙台の地犬である。歴史はやや古く、戦国時代に下級武士により鹿狩り用の猟犬として独自に作り出された犬種である。 現在で言う岩手犬の血を引く和系犬(日系犬)に、高安犬や相馬犬、津軽犬などの現在はほぼ絶滅状態の犬種を交配させて作られた。高安犬の血を引いているために、稀に白地に黒い虎模様の個体もいる。狩猟能力が高く、代々の仙台藩主にも愛されて飼われていたという。それから仙台の武士たちにもその高い狩猟能力が知れ渡り、絶滅するまでずっと、仙台犬は旧士族達の間で飼われ続けるようになった。このように庶民にはあまり馴染みのない犬のため、地元の市民でもこの犬種が存在していたことを知る人は少ない。大正初期に越路犬という仙台犬の長毛のものを基に作成した種が品種化されたが、この犬種も現在は絶滅している。
越路犬
越路犬(こえじけん、こえじいぬ)は、仙台犬から作出された犬種である。大正初期、仙台の越路(現在の仙台市太白区、愛宕橋付近の地名)という所で、突然変異の長毛の仙台犬が2頭生まれた。 飼い主は子犬ながらに美しいこの犬たちの誕生を喜んで、この二頭を基礎として新犬種の作成を試みた。 当時は長毛の仙台犬は犬種として認められておらず、周囲からは「ただの和系犬」といわれて捨てられたり、毛を短く刈られて飼われていた。 越路犬の作出者は、そのような現実を以前から批判していて、ただ毛の長いという理由だけで扱いが変わってしまうことを疑問視し続けていた。しかし、周りの猟師たちは何を言っても毛の長い仙台犬に対する冷たい待遇を変えることはなかった。そこでこの美しい自然の姿のままにいる、最高の犬を作るべくして仙台犬から独立した品種を作り出すことを考え、長毛の子犬が生まれるのをずっと待ち続けていたのだった。 この犬種を作るにあたって、上記の犬に何をかけ合わせられたのかははっきりと分かっていない。一説によると東北の中型の猟犬のほか、サモエドなどの外国の長毛の犬がかかわっているとの見方がある。そして十数年後に、被毛の長いエレガントな犬種が完成した。それがこの犬種である。 はじめのうちはやはり周囲の関心は冷ややかであったが、次第に農村部で飼われはじめていくうちに猟師も鹿狩りに使用するようになって来た。だがこの犬種を猟に使うにあたって問題点があった。それは毛が長いという事よりもむしろおっとりした性格のほうであった。こんなに穏やかな犬が鹿を捕ることができるのかと心配されたが、それはすぐに杞憂となった。猟になると越路犬の性格は豹変し、しかも鹿狩りの能力は仙台犬より優れていた。 その突出した能力から、「越路の麒麟児」と言う異名も持っていた。しかしこちらも仙台犬同様太平洋戦争の最中に純血のものが滅びてしまった。犬種として成り立ってまだ27年しか経っていなかった。ちなみに、仙台の多くの人は、越路犬も仙台犬も知らない。しかし、仙台市内には越路犬の血を引く和系犬が、仙台犬と同じくらいの数いるという。その和系犬は、仙台系の犬のように単色は少なくはないが、長い飾り毛がある。