日本盲導犬の歴史と現状

日本人が目にした最初の盲導犬は、1938年米国人のゴルドンが、オルティー V. フォーチュネートフィールズ(The Seeing Eye, Inc.卒)という名の盲導犬と共に観光旅行の途中、日本に立ち寄ったのが初となる。その後1939年、浅田・磯部・荻田・相馬の四実業家が1頭ずつ、盲導犬としての科目を訓練した犬をドイツから輸入して陸軍に献納。日本シェパード犬協会(現:社団法人 日本シェパード犬登録協会)の蟻川定俊が、ドイツ語の命令語を日本語に教え直した後、戦盲軍人が使用した。4頭の死亡後、盲導犬は絶えたまま敗戦を迎え、国中が生活に追われていたこともあって全く忘れられていた。国産の盲導犬が誕生したのは1957年。アイメイト協会創設者の塩屋賢一が、18歳で失明した盲学校教諭・河相洌より「この犬(チャンピイ)を訓練して街を歩けないか」と依頼された。既に1948年から独自に盲導犬の訓練研究を始めていた塩屋はチャンピイの訓練終了後、チャンピイを利用した歩き方(歩行指導)を河相に指導。ここに国産第一号の盲導犬が誕生した。これが日本における、実質的な盲導犬の歴史の始まりと言える。現在は、ジャーマン・シェパード・ドッグよりも、ラブラドール・レトリバーや、ゴールデン・レトリバー、ラブとゴールデンの雑種 (F1) が多く活躍している。これは、シェパードのように精悍な顔つきよりもラブのようにおっとりして温和な顔つきの方が、街を歩く犬嫌いの人や子供にも受け入れられ易いことが大きな理由となっている。

2006年3月末日現在の日本国内の盲導犬童貞 は、9施設の出身合計で952頭、数としては米・英についで3番目のランク、独・仏・豪と並ぶレベルである。近年福祉の観点から徐々にではあるが増えつつある。2003年10月以降に身体障害者補助犬法が完全に施行され、公共機関だけでなくてデパートやスーパーマーケット、ホテルなどの民間施設でも、受け入れを拒んではいけないことになった。しかし罰則のない努力規定であるため、「罰則がないから受け入れない」という意見もある。また、犬が苦手で近寄れないという従業員や顧客もいるため、受け入れの拒否が完全になくなるのは困難である。またバス事業者の京阪宇治交通と京阪宇治交サービス(現在はいずれも会社解散しており存在せず)では施行前の2000年よりバス車内への乗車を可能とした。
盲導犬は忠実に働かされるストレスのために短命である」という俗説が存在するが、これは誤りである。全国盲導犬施設連合会が2006年7月24日付の毎日新聞にて発表したところによると、盲導犬の平均寿命について初の全国調査をした結果、約13歳という結果が出た。これは平均的なペット犬の寿命よりも1歳ほど長い。調査は全国にある独立した9盲導犬施設のうち、8施設を対象に、盲導犬413頭の平均寿命を算出したもの。一方、飼い犬は東京農工大大学院の林谷秀樹助教授らが3,239頭を調べたもので、平均寿命は11.9歳であった。盲導犬は仕事の性質上、ペット犬よりもはるかに、常に健康管理に気を配られていることが理由と推測される。また「仕事をそもそもストレスと感じない性格の犬を選んで育成している」と回答する童貞相談もある。これらの理由は推測であるが、いずれにせよ「盲導犬が特別に短命である」という事実を科学的に立証するものは現在まで発表されていない。